ストライカー
【育成クラス】

最新情報

「考えて決める」短時間でも見えた成長 [2025.11.10]

ただ蹴るのではなく、考えて決める。まずは「知ること」からスタート。ゴールデンゾーン、アシストゾーンを理解し、自分の技術をどう使うか、どう使い分けるかを実践⚽️

ゴール前での判断、動き出しのタイミング、そして自分の武器を活かす思考。短い時間でも集中して取り組むことで、プレーの質は見違えるほど変わる。すべてのゴールには意図がある。
次は試合で、それを証明しよう🔥

限られた選手だけが参加できる特別クラスです

本クラスは、週末を中心に行われる単発型の集中トレーニングです。ゴールを決めるための思考と技術を深く学ぶため、内容の密度を重視し、少人数制で実施しております。そのため、一般的なスクールのように広く募集をかけることはほとんどありません。告知と同時にすぐ枠が埋まってしまうほど、毎回高い関心をいただいている人気クラスです。

また、一度の参加でも多くの気づきを得られますが、理解の深化と技術の定着を目指すためには継続的な参加が理想的です。限られた環境の中で、本気で「決められる選手」を目指す方にこそご参加いただきたいクラスです。お申し込みを希望される方は、このクラスの趣旨をご理解のうえ、お早めにお手続きをお願いいたします。

ストライカー育成クラス ― 3つの柱 ―

決定率を上げる
シュートの原則

ゴールは偶然ではなく、必然で生まれる。

決まりやすい「ゴールデンゾーン」を理解し、そこに入るタイミング・角度・ポジショニングを自ら設計できる選手を育てます。

感覚に頼らず、考えて動く力を養うことが第一のステップです。

ゴールを奪う
思考

インサイド・インステップ・カーブ・ワンタッチ…

状況に応じたシュート技術を正しく選び、使い分ける判断力を磨きます。

「どう打つか」だけでなく、「なぜその技術を選ぶのか」に焦点を当て、再現性の高いフィニッシュを目指します。

ゴールを奪う
動き作り

サイドや中央のアシストゾーンから、最短距離でゴールへ繋げる動き方を実戦形式で学びます。

味方との連携や視野の使い方を通して、「動き出し」と「決める」までを一連の流れで体得します。

小見出し

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  • 「ストライカー」という言葉の語源

    英語の strike(打つ・叩く)から来ており、もともとはクリケットやボウリングで使われていた言葉。サッカーでは「ボールを叩く=シュートを打つ選手」を意味するようになりました。

  • 世界初のストライカーと呼ばれた選手

    1930年代のハンガリー代表・サンドール・コチシュが、中央で得点を量産したことから「センターフォワード=ストライカー」という呼称が広まりました。
  • シュート成功率が最も高いエリア

    データ上、ゴール中央から約11m以内の“ゴールデンゾーン”でのシュートは成功率が約40〜50%。逆に、ペナルティエリア外からは10%未満と言われています。

  • ロマーリオは1歩目で勝負

    ブラジルの天才ロマーリオは、ドリブルではなく「1歩目の動き出し」で相手を外す達人。彼は「考えて走ることが最も大事だ」と語っています。

  • ロナウドのゴールは「2タッチ以内」が8割

    怪物ロナウドの全盛期のゴールのうち、約80%が2タッチ以内。「シンプルに決める」ことこそが最も効率的な得点法であることを証明しています。

  • メッシの決定率は約22%

    メッシのキャリア平均シュート成功率は約22%(平均は10%前後)。驚異的な精度と選択判断の賜物です。

  • ストライカーは情報処理能力が大事

    トップストライカーの多くは、0.3秒以内に「角度・距離・GK位置・足の置き所」を判断していると言われています。つまり、頭の速さ=ゴール数に直結します。

  • 「冷静さ」は才能ではなく訓練

    南米では幼少期から「小さなゴール」「狭いピッチ」で練習するため、プレッシャー下での冷静さが自然に養われます。

  • 世界最多得点者はペレではない!?

    公式記録上の最多ゴールは、オーストリアのヨーゼフ・ビカン(805得点)。ただし、ペレは非公式試合も含めると1,000ゴール超。(諸説あり)

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セレソンの歴代ストライカーたち

ロベルト・フィルミーノ Roberto Firmino

典型的な9番というよりはゴールもアシストもできる万能型のストライカーでもあるフィルミーノは、ホッフェンハイムからリバプールへの移籍をきっかけに大ブレイク。サラー、マネ、フィルミーノの強力3トップは相手に脅威を与え続け、CLやプレミアリーグ制覇に大きく貢献した。

2018年W杯に出場、翌年19年の母国開催のコパアメリカでは優勝している。

ガブリエウ・バルボーザ Gabriel Barbosa

16歳でサントスでプロデビュー、すぐに初ゴールをマークするなどの大物感漂わせるキャリアスタートを切る。ただ、欧州進出を果たすも失敗に終わり、サントスに復帰、さらにフラメンゴに移籍後はリベルタドーレス杯決勝で同点、逆転弾を叩き込み優勝に貢献、さらに2022年の同大会決勝でも決勝点を決めて二度南米王者へと導いた。

2016年のリオ五輪では悲願だった金メダルを獲得、愛称ガビゴウ (Gabigol)とともに記憶に残ることになる。

フレッジ Fred

クルゼイロでゴールを量産してフランスのリヨンへ移籍、チームの黄金期にジュニーニョ・ペルナンブカーノらとともに活躍して、06W杯メンバー入り、得点も記録する。その後フルミネンセへ移籍するとセリエA優勝と得点王を獲得して2014年の自国開催のW杯でもメンバー入りした典型的な9番プレーヤー。

ルイス・ファビアーノ Luís Fabiano

類稀な得点感覚と高い決定力を武器に、サンパウロFCでゴールを量産してその名を不動のものに…。09年コンフェデ杯でセレソンを優勝に導くとともに自身は得点王を獲得、W杯南米予選では本大会出場を決定づける貴重なゴールを決めるなど、ここ一番での勝負強さを発揮した。

リカルド・オリベイラ Ricardo Oliveira

ラリーガのバレンシアからベティスへ移籍して大活躍、その高い得点能力を武器にACミランやサントスなどを渡り歩いた。セレソンでは04年コパアメリカと05年コンフェデ杯で優勝した両大会でメンバー入り、06年W杯は残念ながら選出されなかった。

アドリアーノ Adriano

ワールドユースでの活躍をきっかけにヨーロッパへ活躍の場を移し、インテル、パルマ、フィオレンティーナなどでプレー。ブラジル代表では04年コパアメリカと05年コンフェデ杯ではブラジルを優勝に導くとともに自身は得点王とMVPを獲得するなど、左足の強烈なシュートを武器に暴れ回った。

キャリア終盤はピッチ外での問題が多く規律違反などで契約解除などが相次ぐ問題児扱いをされていた。

ロナウド Ronaldo

全盛期には驚異的なスピードと圧倒的な突破力でフェノメノ(怪物)と呼ばれ活躍したブラジル屈指のストライカー。94W杯では17歳でメンバー入りして優勝、98年は準優勝ながら大会MVP、2002年は大会優勝と得点王、FIFA最優秀選手3回、バロンドールも2回受賞するなど数々の記録とともに記憶にも残る名選手でもある。

ロマーリオ Romário

170センチにも満たない身長ながら、ブラジル国内のみならずオランダ、スペインでも活躍、94W杯ではブラジルを優勝に導いた高性能ゴールハンター。非公式ながら1,000ゴールを記録、公式でいえばあのペレをも超えるゴール数を記録するなど、ゴールを奪う能力はブラジル歴代でも屈指。


素行の悪さから代表から外れたりすることも多く、それがなければ胸の星の数はもっと増えていたであろう。

カレッカ Careca

抜群の決定力とスピードに優れ、86、90年W杯のブラジル代表で活躍、あのマラドーナが一緒にプレーしたいと熱望してナポリでコンビを組みスクデット獲得にも大いに貢献した。晩年はJリーグの柏レイソルでもプレー、W杯でコンビを組んだミューレルともともにプレーした。

82年W杯ケガのために欠場、黄金の中盤にカレッカが加われば間違いなく歴史は変わっていただろう。

カーザグランデ  Casagrande

コリンチャンスでソクラテスの相棒としてプレー、ヘディングとテクニックで得点を量産、イタリアへ活躍の場を移してもその得点力は健在だった。

私生活もワイルドな風貌同様の一面があり、W杯は82年は直前に落選、86年大会に出場したものの活躍するには至らなかった。

ロベルト・ディナミッチ  Roberto Dinamite

ユースからバスコ・ダ・ガマでプレー、同クラブの最多得点記録を持つなどの国内屈指の人気クラブでもあるバスコの英雄。そんな彼も1シーズンだけあのFCバルセロナでプレーするも、翌シーズンにはバスコに復帰、代表での活躍する機会に恵まれなかったもののクラブレジェンドとして国内にその名を轟かせた。

ちなみに名前のディナミッチはダイナマイトのような選手ということでつけられた。